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令和6年1月1日16時10分ごろ発生した能登半島地震、同年9月21日の豪雨災害で被災した石川県珠洲市でのボランティア活動に参加してきました。
令和6年11月22日(金)21:30和歌山市社会福祉協議会に集合して、活動についての包括的な説明を受けます。
ボランティア参加者は、17名の募集に対して14名の応募(うち5名が女性)、社協職員が7名参加(うち1名が女性)、合わせて21名が石川県珠洲市にてボランティア活動を行います。
22:00頃、観光バスに乗り込み、車中泊のため一人二席を占有してからの出発。
事前にグーグルで調べると、片道約7時間の道程でした。
実際は、約二時間ごとにトイレ休憩をはさみ、現地待機場所へは6:45に無事到着です。
私が見た被災地の現況と、ボランティア活動で感じたことを記事にします。
(個人の感想です。そのため、不正確や表面的な表現はご容赦ください)
珠洲市の能登半島地震による被害
令和6年1月1日16時10分頃に発生した令和6年能登半島地震において、珠洲市は震度6強を記録。
地震に伴い、珠洲市若山町では全長およそ4キロにわたり場所によっては、2メートルを超える隆起が起きました。
津波に関しては、珠洲市飯田港で高さ4.3メートルに達していた痕跡が確認されているとのことです。
珠洲市は能登半島の北端に位置し、地図で確認すると自動車道は通ってなさそうです。
海岸沿いの道がメインの道路になっているようです。
実は、令和6年の正月の地震以前にも
令和5年5月5日 :震度6強
令和4年6月19日:震度6弱
約1年半の間に震度6の地震が3回起きていたんです。
能登半島の先っぽだから、道もないので復興が遅れているの?
珠洲市の奥能登豪雨災害での被害
令和6年9月21日の奥能登豪雨災害において、珠洲市では48時間雨量が観測史上最大の394ミリを記録。
地震によって、家・建物が大きく損傷を受けている中での豪雨災害。
どれほど怖かったでしょうか。
ボランティア活動
私の班が災害ボランティアセンターより指定された現場。
現地は、地形が窪地になっており県庁HPで扱われているの画像の場所です。
作業内容は、側溝内にたまった土砂の撤去でした。
土砂の中には、ガラスの破片も多く含まれていました。
防災センターで割り振られて現場は「側溝掃除」とだけが告げられて、現地の詳しい情報は何もわかりません。
漠然とした情報の中、適当に道具を積み込み現地に向かいます。
私の班は15人編成でした。
小雨の降る中、側溝内に堆積した濡れた土をスコップで取り除いていきます。
道路側溝内に足を入れた状況で、真横を車両が通り過ぎていきます。
本当に危なすぎる。
そう言っている間に、現地?ボランティアの方が車両のガードマンとして二人ついてくれました。
他にも、道具が作業に合っていない、作業範囲が不明確などで時間の無駄がありました。
(防災センターの人手不足や専門外などもあるので仕方がないですね)
せめて現地の写真を見せてくれれば、必要な道具などを選択できるのに……。
当日の天気は、最高気温10℃、小雨が降る中の作業でした。
現場作業に全く不慣れな方も多いので、数回の休憩をはさみながら作業を進めていきます。
そして、昼休憩になり事前に用意しておいた弁当やおにぎりを食べます。
(現地には、コンビニも自動販売機もありません)
問題は雨の降る中、屋根も座るところもないことです。
(数名は、乗ってきた車を使えました)
雨を浴びながらの立ち食いでした。
いい経験をしましたよ。
作業を再開し目途が見えてきたころ、追加の作業「土のう詰め」が発生しました。
(ボランティアに来ているので、もちろん笑顔で作業です)
3枚上の画像にある若山川では、護岸も流されているため「土のうを置いてほしい」とのことです。
珠洲市での見聞録
私の見たまま、聞いたまま、感じたままの感想を述べます。
(情報の間違いや見当違いがあるかも知れません。ご了承ください)
道路状況について
能越自動車道だと思いますが、時速40キロ制限のようです。
また、地震により被災した箇所を避け、とりあえず道路をつないだため「く」の字に迂回することが多いようでした。
たまに、座席前のカップホルダーに入れていた缶コーヒーがこぼれそうなほど「ガタン」とするときが何度もありました。
職人との会話
朝の待機時間、近くにコンビニがありました。
そこで、作業服を着た二十代の男性に声を掛けました。
おはよう!
復興の仕事が山ほどあるから休みとかあんまりないの?
そんなことないっすよ!
今日も休んでもらってる人いてるし、うちの班は来週空きです。
えっ?
なんで???
家も道路もこんなに壊れてるし、山崩れもチラホラあるで?
公費解体なんすっよ
よくわかんないっす
……。
地元民
度重なる地震と豪雨による災害の影響でしょうか、地元の人をあまり見かけませんでした。
朝、犬の散歩をしている人を一人見たぐらいです。
皆さん非難されているんでしょうか。
そういえば、スーパーのような店舗も見ていない気がします。
感想
復興の目途はまだまだ先です。
多くの家屋が歪み、瓦落ちをしています。
また、道路の隆起や段差などの損傷も多くあり、歩道のアスファルトの下が空洞になっている場所もありました。
電気・水道・ガス、雨水排水・下水などの現状は分かりませんが、元の生活には程遠いのは間違いないでしょう。
もちろん、歩く人などもほぼ見かけません。
政府は外国へものすごい金額を支援しているようですが、大切な国土・国民をないがしろにし過ぎだと思います。
私は、1995年の阪神淡路大震災を吹田市在住時に経験し、その後、災害復旧工事で宝塚市と神戸市の現場を経験しました。
特に神戸市では、住み込みながら日々の復興を身近に感じていました。
その時の経験からしても、珠洲市の復興は遅すぎると感じます。
地形的な要因があるのは理解できます。
しかし、同じ日本人が暮らしている市町村です。
もっとメディアも取り上げ復興を後押ししてほしいと思います。